CROSS TALK

長年に渡りルースと親交の深いアーティストKads MIIDA氏が今シーズンのLUZ ONEのグラフィックデザインを手がけてくれました。人生経験豊富なMIIDA氏を囲んでLUZ のクリエイティブディレクターのSOHSHIと、ブランドマネージャーのMAKKYとの3人で対談。ルースとの出会いからジャマイカの話、そして話は宇宙規模の話まで深まり、どっぷりドープに語ってもらいました。

MIIDA氏とLUZの出会いについて

MAKKY / そもそもの話を聞きたいのですがミイダさんとルースの出会いはいつ頃どこで出会った感じですか?

MIIDA / 最初は何だったっけかなー?ソーシが見つけてくれたんだよね?どこかで。

SOHSHI / そうなんです。ミイダさんとは 7,8年の付き合いになるんですけど、元々一番最初に出会ったきっかけは、今はもう日本では出回ってなくて伝説となってるスケートシューズ「iPath(アイパス)」なんですよね。僕ら横浜が地元でルース始めているんですけど、同じ横浜のスケートクルーでBPトレーディングという、カリフォルニアからiPathやSATORIを仕入れて日本に広めていた、めちゃくちゃかっこいいクルーがいて。そのブランディングもめちゃくちゃかっこよくて。草の根で日本全国スケートツアーして旅して回ってヘッズを増やしていくみたいな。まだ駆け出しだった僕らはめちゃくちゃ影響受けましたね。そんで僕らも街遊びでiPath履いてスケートして、そのままフットサルするというミックスカルチャー感が新鮮で、スタイルというかリアルな日常がその当時あって。そこでiPathの広告で初めて見た絵がミイダさんの絵だったんですね。スピーカーの前で少年たちがボール蹴っててジャマイカなのかどこなのかっていう世界観にかなり当時衝撃を受けて。その当時のBPトレーディングの社長の西林さんに「これは誰が描いたんですか」って話の中で、ミイダさんを紹介してもらったんですよね。

MIIDA / そうだったか!!

SOHSHI / それでミイダさんに突然連絡させてもらって、そしたらめちゃくちゃ軽く「いいよ、うち遊びきな!」みたいな感じで言われて(笑)アーティストとの最初のセッションって緊張するんだけど「いきなり家ですか!?ミイダさんの家行っていいんですか!?」みたいなとこから、調布のミイダさん家にいきなりおじゃまして。で、その時の想いの丈をめちゃくちゃ話して、それでリンクした感じですよね?

MIIDA / はいはい、覚えてますよ(笑)

MAKKY / 覚えてなかったけど(笑)ソーシさんがいきなり家に押しかけて話聞いてどう思ったんですか?迷惑じゃなかった?(笑)

MIIDA / ソーシが来て、いろいろ話を聞いているうちに先ず思ったのは“新しい絵が描ける!サッカーの ” そしてただのサッカーじゃなく、音楽あり、アートあり、いろんなカルチャーありという中で、志を持った人が自分の絵を理解して家に来た。「俺もそこで絵が描きたい!」 と思いました。時々いるんですよソーシみたいにいきなり家に来る人(笑)

MAKKY / そこから最初にルースと仕事したのは何だったんですか。

MIIDA / 天下一ってイベント。それでその前に天下一のコートの壁に描いてほしいと…フットサルの競技は板壁を周りに立てて、その中で試合をするなんて知らなかった。で、LUZの事務所に呼ばれて板に描いた。それが最初じゃないですかね。

SOHSHI / それが2012年ごろですね。

MIIDA / それでイベント当日もライブペインティングしてほしいって言われて横浜の港のデカいクラブに行ったら、見たことない世界観が広がってて。サッカーして、Cro-Magnonが演奏して、CHAN-MIKAが国家斉唱して、外ではスケートしてるし俺らはライブペイントでしょ。でサッカーも3on3でちゃんと競技してるからビックリしたよね。そのミックスカルチャーに。それがスポーツでありアートであり。「あぁ新しいヤツら出てきたなー」って思ったもん。

今回のデザインの制作秘話

MAKKY / 今回20FWのLUZ ONEのデザインが仕上がるまでの時間はどういう話をして進めていったんですか?

SOHSHI / 今回に関しては3度ほどミイダさんのアトリエに通って仕上がったんだけど、一番最初はミイダさんがBEAMSのデカい天井画を描いてて「忙しいんだけど」と言われてるのに押しかけたんですよね。ミイダさんのアトリエに。

MIIDA / そうそう。絵を描いてるけど喋れるから遊びに来なって言ってね。

SOHSHI / それで、ぼくら15周年なんでっていうことと、ブランドとしてのアイデンティティを絵に起こしほしいっていうのをひたすら伝えていたんですけど、、、。実際はラグビーのW杯がやってたタイミングでラグビーの話ずっとしてたんですよね(笑)実はミイダさん京都のラガーマンなんですよ!

MAKKY / この細身からは想像出来ないけどラガーマンだったんですね??

MIIDA / スクラム組んでました4番で2列目(笑)。で、ソーシがラグビーのルールがイマイチわからないというから、ちょうどあった黒板で説明して、これがサッカーでいうFWね、これはDFねって言ってね。

SOHSHI / 最終的には2人でスクラム組んでた。ミイダさんのアトリエで。(笑)

MIIDA / こう押して、顔をグリグリやって、中ではこういう戦いがあるんだってやってたね。ソーシと俺の顔と顔こすりあってね(笑)

MAKKY / あれ、遊びに行ったの!?(笑)

MIIDA / 真面目な話をすると、ソーシはいつもうちに来るときに彼のイメージがあるんですよ。これのタッチでこれでってモチーフがあるんです。だからすごい描きやすい。イメージしてくるから。けど実際にこういう字を描けとは言ってないんだけど、話したら出てくるんですよ。毎回そうなんですけど、打ち合わせの時には彼の頭の中にあって。

SOHSHI / ミイダさんが描いてる横で話しながら描いてもらってどんどん形にしてもらってる。自分はそのやり取りが新鮮というか、たぶんミイダさんとじゃないとこういう作り方は出来ないなって思ってて。だってその場でどんどん描いてって、こっちが伝えたことを絵に起こしてくれるなんてオレにとっては魔法使いでしょ。(笑)

アーティストとして有名になったキッカケ

MAKKY / 聴いてた音楽はレゲエが好きだったんですか?

MIIDA / 話せば長いんですけど、高校生の頃、イギリスのネオモッズってのが流行って、ブリティッシュビートとパンクのミックス的な。で、音楽のルーツを探ると、黒人の音楽、リズム&ブルースやスカにたどり着くわけですよ。そもそもオリジナルのモッズのカルチャーは60年代にイギリスに移民してきたジャマイカンの影響が大っきく、白人の少年達が細身のスーツを着て、ジャマイカ独特の音の拾い方でダンスしてたみたい。その流れで僕もブラックミュージックやジャマイカンミュージックにたどり着いちゃった。当時レコードがジャマイカからちょっとづつ輸入されてきたから、聴いて、最初はジャマイカンジャス、スカ、ロックステディと。でレゲエはボブマーレーから徐々に入っていった感じ。ナイヤビンギ の絵わかる?ラスタマン達が太鼓叩いている絵。

SOHSHI / ミイダさんの代表的な絵ですね。

MIIDA / あれはジャマイカに行った92年に。80年代にジャマイカのレゲエの仕事を少しづつやって、自分では雑誌とかレコードとか、そんなんでしか分からなかったし。これ行かないとわかんないなと思って。

MAKKY / それでジャマイカにいったんですね。ナイヤビンギってどういう意味なんですか?

MIIDA / それはラスタの儀式なんですよ。セレブレーションというか、例えばハイレ・セラシエの誕生日とかエチオピアのクリスマスとかボブマーリーの命日とかみんなで集まって一晩中太鼓をたたくんですよ。音楽も全部決まってて、歌も。そういうアンセムが何曲もあってそれを続ける、それがレゲエの元みたいな。

SOHSHI / あの絵を描き上げたのが決定的なものになったんですか?アーティストととして。

MIIDA / そうじゃないかな。あの絵が当時レゲエのカルチャーを紹介する雑誌に掲載されたんですよね。そうしたら日本中にバーっと広がって、これ描いてるの誰だみたいな話になって。でもそんなことがないとたぶんソーシとも繋がってないよね。

SOHSHI / そうですね、あの絵は日本中のバーやクラブに今だに飾ってありますもんね。ミイダさんのことは知らなくてもあの絵は見たことある。みたいな人も多いと思います。

MAKKY / あの絵はジャマイカでリアルに見た状態なんですか。あそこに入り込むのはそれこそラスタマンじゃないと入れないんじゃないですか?

MIIDA / そう、あれはジャマイカをウロチョロしていたら、あるラスタマンと出会い、彼がナイヤビンギ ドラムを作る職人で、彼に連れて行ってもらった場所の風景。ナイヤビンギ ドラムはただの楽器ではなくラスタ達が儀式に使う太鼓で、自分達もその太鼓を持ってスコッチパスというテンプルがある場所に、9月の頭の何かの記念日に合わせて一週間、ラスタ達が夜な夜な演奏する宗教的な儀式にテントを持って行って来た。自分も髭をはやし、髪もドレッドにしてたから受け入れられたんだよ。

MAKKY / ミイダさんドレッドで行ったんですね。

MIIDA / あたりまえじゃん(笑)写真見せようか!?(笑)この前出てきたんだよ。

MAKKY / 若い!そしてかっこいい!!手にはしっかりスケッチブック持ってますね(笑)

MIIDA / 1992年ですね。まだ20代。一緒に行ったのが写真家の加藤文太郎、ブンさんって俺の5つ上の人で、その人に影響されて、レゲエの元になるコンセプトにラスタファリズムがあって、さらに色々なものがあるって教えてくれて、それを探りに行ったんですよ。2人で。そのあとエチオピアにも行ってさ。

SOHSHI / めちゃくちゃ冒険の旅ですね。当時それこそインターネットとかもないし。憧れるなぁそういう旅。未知との遭遇みたいな。

MIIDA / そう。で、その人が写真を撮って、俺が絵を描くっていうのをやりに行こうって2人で決めて行ってさ。日本に戻ってきて撮った白黒写真に絵を描いて展覧会をやったんですよ、その時。

MAKKY / 30年前にめちゃくちゃオシャレなことやってたんですね。その展覧会行きたかったなぁ(笑)

MIIDA / そう。それから30年経っちゃって。で、今またそれを2人でリバイバルしようって話してて。

MAKKY / それは楽しみですね。実現したらぜひ教えてください!

Master of Lifeな話

SOHSHI / 話はガラッと変わっちゃうんですけど、4月のアタマ位に緊急事態宣言が出て1週間も経ってないくらいかな、日本中がどうなのこれから、日本は世界はどうする?みたいなみんながちょっと緊張感ある中で、仕事も出来ないし誰とも会えない状況だったじゃないですか。そんな中ミイダさんから突然電話もらって、「ソーシ大丈夫か?ルースのみんなどうしてる?もし俺にやれることがあったら何でもいいから言ってきなよ!」って連絡くれて。正直オレは自分の家族をいかにして守るかみたいなことしか考えてなかったけど、そんな状況下でわざわざルースのこと気にかけてくれて。それでミイダさんは他のアパレルの人とも繋がりがたくさんあるから「他のブランドはこういうことしてるよ、ソーシたちどうしてる?」とか親身になっていろんな情報をくれて。人間って「本当の瞬間」にこそ出るじゃん、自分のエゴなのか他者を労われるのか。

MIIDA / 打ち合わせになかったなぁその話(笑)

SOHSHI / 僕らもLUZとしても、個人としても「逆境に立った時いかに人にギブできるか」っていうのがこれからの時代特に、そういう人間じゃないと生き残っていけないだなっていうのはミイダさんの電話をもらってすごく学ばせてもらいました。ただのアーティストとブランドという関係性ではなくミイダさんに関しては「master of life」 人生の師匠というか、いろんな痛みや苦しみを知って今がある人が、そばにいてこうやって一緒に仕事ができるっていうのが実は自分たちにとって一番益があるし、幸せなことだなっていうのを感じながらやらせてもらってます。

MIIDA / まとまりました!(笑)
まあでも、自分の話をすると、みんなと会えないとか、会っちゃいけないような雰囲気の時に、ぶっ飛んだ話になってしまうけどテレパシーというか感じるんですよ。パっとソーシが入ってきたら今ソーシが俺のこと思ってるんだなって勝手に思っちゃう。

MAKKY / わかる気がする。あると思います。

MIIDA / すごいそういうのが出てきて、そうなるとみんなに電話するんですよ、その場で。で、ある人に電話したら “ミイダさんすごい飛ばしたでしょ”って言ってきた。俺からテレパシーをキャッチしたって。だから、元々人間がそういう能力があったんじゃないかと思う。今はこうやってiPhoneを触って終わりだけどさ、それもテレパシーというか、想いを具現化する道具にすぎない。実は想いこそが本当で、メールよりなるべく肉声が聞きたい。で、その時にソーシに電話したんじゃないかな。

SOHSHI / それこそ究極な話でいうと携帯とかこういうのが無かった時代って恋愛とかもそうかもしれないけど、人と人の心というか、もっと第六感がビンビンだったというか。それがそれこそ、この言葉というか僕らの指標としている言葉『Natural Mystic』自然神秘。自然を敬って畏怖の念を持つ気持ちこそが大事なんだなっていう。

MIIDA / 僕らも自然の一部ですからね。

SOHSHI / 頂きました(笑)僕らも自然の一部。ほんとそうですよね。

MAKKY / ルースのブランドテーマである『Play on the Earth,Pray for the Earth』もそこに繋がるんですね。

SOHSHI / そうだね。全ては繋がってるっていうことだよね。ミイダさんとの話は宇宙規模の話になって面白くて尽きないですねぇ。

MAKKY / そろそろお時間なので。今日は素敵な話をたくさんありがとうございました。

MIIDA / こちらこそありがとうございました。